俺にはできないUE4(UE4休止中)

Unreal Engine 4でゲームを作ったりする備忘録だったり、ただの日記だったりする

または私は如何にして心配するのをやめて日記を書くようになったか

 書こう書こう何か書こう。なろうなろう小説家に……ではなく、なろうなろう明日なろうと考えるだけのまま歳を重ねてきて、結局行動し続けるしかないんだよなあと今更悟り、さりとて明確な何かも無いまま目の前の無限の選択肢にうんうん悩み続けて何もしないままよりは、まず書こう、書いているうちにいい感じに自分の欲求とか出てくるのではあるまいか、と考えてまず日記の二日目を書き始めるのだった。とか書いている間に日付が変わった。

 自分が作りたいものはかつてはゲームだった。今はよく分からない。脳内で自分の理想のゲームらしきものを愛でると、それで満足してしまうからだ。それを実在するソフトとして成り立たしめる欲求が無い。それを遊んで喜ぶ人々のイメージが無く、誰かに遊んで欲しいという欲求も無ければ、楽しんでもらえる自信も無い。それなりのモノを作る自信はあるが、それなりなので100万本とか売れているゲームを買った方がいいだろと思ってしまう。Steamを見よ。溢れんばかりのそれなり以上のゲームたち。そして、一人で商品としてゲームを完成させた事もない癖に、他人のゲームをそれなりなどと!

 ではゲーム以外ならどうなのか。無い事も無いが、やはりゲーム同様に、世界で自分にしか作れないモノを作ろうといった気概が無い。何もそこまでやる必要はないし、やる気はしょせん幻想だが、余りにモチベーションが無いならサラリーマンの方がマシであろう。最低限の事をやっていれば給与は貰える。そんなうらぶれた大人の見本みたいになってしまった。

 インターネッツの情報の飽和攻撃に脳のメモリをやられてしまったのかもしれないし、ただ世間並みに幼児的万能感を失っただけなのかもしれないし、年を食ったせいで更年期さんこんにちはしたのかもしれない。いずれにしても、そんな状況下で一縷の望みを掬い上げようと日記を書くのだった。日記として客観的に見るようになれば、他人様の文章をあーだこーだと陰湿にこき下ろすなどの行為を日々行う自分を意識する事もやぶさかでない、はてなブックマーク利用者の一人として、見えてくるものがあるかも知れないじゃあないか。最近は見出しだけ読んで完結する人も多いけどな。本日の見出しは、映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のパロディである。終わる。